辞めないという選択
物忘れが日に日にひどくなっており, 退学 Advent Calendar 2015というものを見つけて, 書こうと思っていたのにすっかり忘れてしまった. 15日に書くはずだったのに16日の今日に, 小島監督が15日に退職したというニュースを見て思い出した. まだ思い出せるのだから大丈夫だとは思うが, それでもGoogle Calendarは欠かせない. Google Calendarに書いておいても忘れるがそれは仕方がないともはや割り切っている.
#記憶がない さて, 何か書くべきだと思い, 昔高校をやめるときに考えていた, 「辞めないという選択をし続けるのか」 ということについて書くことにした. そう, そうなのだが, 前の高校にいたのはたったの1年, 更に2年が経ちほとんど記憶がないのだ. 思い返すと, 前の高校も後の高校も割と楽しかった気がするが, 何が楽しかったのか思い出せない. 思い出補正ってやつかもしれない.
とりあえず, なんとか思い出しながら書いてみる. 味気ない文章になる気もするが.
#吸い込まれる1年間 そう, やめたのは高校1年の最後だった. やめるというのは高校に入ってすぐに決めた. もちろん躊躇はしたが, 遊んでばかりいた私がうっかり特待として入ってしまったためか, 勉強ばかりの生活には耐えられなかった. いや, というよりは当時やっていた Snes9xTYLmecm Modの開発や, out-datedになりながらも初心者に最適な情報を与えてくれた素晴らしいチュートリアルを見ながらのpawapuro2012 exploitの開発は勉強に比べれば楽しいものだった. それに, その無理矢理の勉強で向上が見られなかったので, 私は決断をすることができた. うっすらとした記憶を今の考えが上書きしているような気もしなくもないが, 英語が向上しないなら行く意味はないと思っていたはずだ.
#辞める 辞めた. タダで高校に行ける特待とかそんなものはガキの私には関係のないことだった. それからは受験に際し障壁となるであろう数学の対策と海外のネットサーフィンに時間を費やした. いや, 本当はもっといろいろあったはずだが忘れた. 勉強嫌いが先の1年で社畜的精神に上書きされていたのに気づいたのを覚えている. 結局辞めた高校の1年も無駄ではなかった. かといって辞めた後の膨大な時間も嬉しいものだった.
高校3年になってからはとある同級生の英語の指導に熱中した. 面白いくらいに言うことを聞いて, 実際に点数も上がったもんだから面白かった. いよいよ受験という時にまた体調を崩したのかなんなのか, 高校に来なくなったが. その点数の向上と体の弱さは別に評価している.
#辞めたのは正解か 辞めたのが正解だったかは正直わからない. 辞める前も後も記憶は思い出補正されているし, そもそも辞めなかった場合に関しては経験していないので分からない. 前の高校の同級生とは連絡すら取っていないので今頃どうなってるかなんてわからない.
ひとつ言えるのは, 後悔はしていないということだ. 簡単な話, どうせ正解なんて分からないのだから, 明らかに間違っているという選択肢を除けば何をしてもいいはずだ.
#今再びの選択 後悔していないのなら何度でも繰り返す. でもそれでいいと思う. 一旦自由になってしまえば, あとはずっと自由なのだ. 家族をもったりするとまた話は違うだろうが, 今のところ予定ないし.
選択はできるうちにすればいい. 馬鹿なら忘れて後悔なんてしない.
たまにTwitterのDMでくるのが, 自分もコンピューター弄りたいとかそういうものである.
やればいいじゃん. どうせ寿命=彼女いない期間独身なんだし学校でも会社でも辞めたればいい.
でも英語の勉強も楽しいよ?